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2009-06-26 Fri 21:43
私は彼を2回見た。
93年か94年、福岡ドームのこけら落とし公演と 96年の公演。 最初のときはまだ学生だった。 「え〜マイケル〜?」とあんまり乗り気ではなかった私を、 友人は「うちの父親がいうには」・・・と勧誘した。 「おれが中学生のころ、マリリン・モンローが中洲のホテルに 泊まったとき(注・1954年、朝鮮戦争の慰問をかねてジョー・ディマジオと 新婚旅行で日本に立ち寄る)、友達が見にいこうと誘ったんだけど おれはかっこつけて行かなかった。40年後の今、それが悔やまれてならない。 だからお前は(注・私の友人)絶対行っておけ。」 友人の父親の青い後悔に感動した私は、誘われるがまま 発売の前の日にドームに行き、ドームの駐車場で一晩明かした。 駐車場の冷たい床も、明け方に暴動があったのも遠い思い出。 その友人と、こんな話をした。 「将来、マイケルが死んだとき、お互いのことを思いだしたりして。 『上の子がさあ〜』って、電話で話したりしてね」 ・・・・・・・私も長く生きたなあ。 マイケルの曲では「ベンのテーマ」とこれが好き。 この、ラーメンみたいな髪のねーちゃんが大好きだった。 マイケル個人が好き、というより マイケルが生きた時代、マイケルが生み出した現象を私は確実に知っており それが完全な過去になったことを、思い知って呆然としている。 数百年後、マイケル・ジャクソンという現象を歴史家がふり返るとき 私もそのただなかにいたんだなあという、感慨。 「カノッサの屈辱」の当事者のひとり、みたいな。 なにこの日記、わけわかんない。 そしてファラ・フォーセットも。 永遠のアメリカン・ガールよ。 |
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2009-06-21 Sun 14:46
幼い頃、私はアリの巣の絵を描くのが大好きだった。
父の日にお父さんの顔を画用紙いっぱいに描く、 あのとき、私はまず地面の線を決め、その上に父の全体像を描いた。 皆が画用紙いっぱいにお父さんの顔を描くところ、 全体像だから私の父の顔は消しゴム大である。 正味五分くらいで父をすませると、私は本日の本業にいよいよとりかかる。 アリの巣を描くのだ。 地面の線をひき、そこから各部屋をおのおの描いていくのは素人のやり方だ。 地面の線とアリの巣の全体像、そして地面の線は「ひとふでがき」で行わねばならない。 なぜなら地面の線をひき、そこからアリの巣を描いていくならば、 アリの巣の入口は線で蓋をされる。アリさんたちが出入りできないではないか! 私はだいたい、正面真ん中よりやや右ぎみの位置に出入り口をさだめる。 真ん中に入口をおくと、父の股間の真下にあたり、それはちょっとあれだ。 それに真ん中が通路だと、部屋の配置が以外と難しい。通路を長くしないと 部屋が重なってしまう。5歳児の力では困難な課題だ。 ゆえにやや右に入口を配置し、胃袋状の部屋をいくつも作り 葡萄の房をそっと横たえたような全体像にする。 その横たわり具合は、そう、コペンハーゲンの人魚像のような優雅なカーブを目指す。 胃袋状の部屋はすでに寝室、育児室、食堂、食物倉、女王アリ部屋と、 役割と個数を把握している。 そうして頭の中に綿密に設計図を描き、5歳のアリの巣画伯は 茶色のクレヨンをつかみ、一気にひとふでがきでアウトラインを仕上げていく。 ここが大事なのだ。ここで迷ってはいけない。あとで 「あ、働きアリの寝室がない」とあわてて描き足すことはアリの巣画伯の沽券に関わる。 ここさえ決まれば、あとはアリさんの食べ物やアリさんの子どもや 睫毛の長いアリ女王やアリのカラカラ大浴場やみんなに隠れて逢引きしている2匹を 描いていくという楽しいだけの仕事が待っている。 画伯は何人の邪魔も入らせず、棟方志功ばりの集中力で仕上げる。 アリの巣が仕上がると、私は地上にお花を描き、犬を描き、象を描き、鹿を描き 蝶と鷹を飛ばし、父の絵を仕上げる。 完成したアリの巣を、横からいぶかしげに眺めるサングラスをかけたモグラも描く。 この世のあらゆる動物たちに囲まれ、祝福を受け、楽しそうな父。 (某宗教団体のチラシっぽい) 私もよい仕事を成し遂げたという充足感でいっぱいだった。 ところがある日、私の至福の喜びは保母さんたちから取り上げられた。 とにかく、他の人のように画用紙いっぱいに顔を描けというのだ。 身をよじって泣き叫び、お昼寝のあともぐずり、おやつの間も断固拒否しつづけた 5歳児であったが、なぜかふと正味三分くらいで保母さんたちの望む 父の顔を描いた。 あれが私が「迎合する」ということを覚えた最初だったのだ。 心療内科医が私の絵を見たら、「この子にとって父の存在は小さいのでは・・・」 などと言われてしまうのだろうか。 (ああ、青いクレヨン一色で父を描くなりして もっと保母さんたちをびびらせておくべきだった。なんて小粒なんだろう私) いや、父がどうのこうのではなく、母の日の絵もそうであったから心配ない。 遠足に行った絵でも何でも、この頃私はアリの巣がとにかくメインなのだった。 2ヶ月ごとのカレンダーが終わると、それをもらって裏面に アリの巣をいそいそと描きこんだ。あのつるつるした紙にラッションペンで描くのが たまらなく気持ちよかったのだ。 なんだったんだろう・・・あのアリの巣フィーバーは・・・。 しかし後年私は、澁澤龍彦がインタビューで自分も幼い頃アリの巣の絵を 描いていたという記事を発見し、にんまりとする。 自分に流れるアリの巣描きの血を誇ったのであった。 岸本佐知子さんのエッセイ『気になる部分』。 こちらは、トラックの後輪タイヤの上についているビラビラが描きたくて 何枚も大型トラックの絵を描き、両親をおびえさせたという岸本さんの 素敵な少女時代の話が紹介されています。 そして私も岸本さんと同様 ロールシャッハの絵はすべて骨盤に見えるのでした。 この方とも同じ種族かもしれない。 |
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2009-06-21 Sun 13:20
国道沿いに大型ショッピングモールがある。
ファストフード店ができ、ファミリーレストランができ、大型電器店、 ディスカウントショップ、パチンコ屋等々が立ち並ぶ。 全国どこにでもある地方都市のロードサイドの風景。 三浦展はこれらジャスコに代表される風景を「ファスト風土」と名付けています。 (『ファスト風土化する日本』) ケータイ小説は、都心の書店よりも郊外の大規模書店や ショッピングモール、駅に併設された大型書店で売れるという報告があります。 これら大型書店では、コーナーを作り大々的にケータイ小説を売り出している。 そして実際売れている。 ここで気をつけなければならないのは、地方都市が都心に比べて程度が低いから・・・という、 ケータイ小説と地方都市に対しての二重差別的な考え方に陥ってしまうことです。 大型書店はほぼ、フランチャイズ化されています。 マニュアルさえあれば、誰が働いても同じ品揃えになるのです(書店のファスト風土化)。 ケータイ小説は話題性があり、売れそうだから置いてみる。 それしかないから少女たちが買う。さらに置く。買うというスパイラル。 ケータイ小説は郊外化した書店流通からヒットした商品でもあるのです。 固有名詞を持たないファスト風土の風景は、そのままケータイ小説の舞台でもある。 つまり。 速水健朗は、こうまとめます。 ケータイ小説とは、ファスト風土化した郊外が舞台の、郊外に住む少女が主人公の 郊外に住む少女達を主な購買層にした、郊外型ショッピングモール内書店で売られる 「新しい文学」なのである、と。(『ケータイ小説的。』) 似たような家庭環境で育った同級生たち。 とりあえず外へ出よう(東京、という概念)という強い欲求を持たない子供たちは そのまま地元で大きくなっていく。 ケータイ小説には、同級生と先輩、後輩、それぞれの親と教師ぐらいしか出てこない。 おばあちゃんも独身OLも小学生も存在しない世界なのだ。 ファスト風土の、ジャスコとファミレスとマックの街で、10代の子どもたちしかいない。 そら恐ろしい。 均質化・均等化の世界は、異なるものの侵入に弱い。 異なるものを取り込む経験が少ないため、きっとあっさり排除してしまうだろう。 逆に自分が異なるものとして別の社会に参入するとき、どうするのだろう。 (それの第一関門が多分、就職活動) しかも彼らは、「本当だ」と言われ、あっさり信じてしまう人たちなのだ。 前回の講義では、去年別の大学でやった吉田修一の『悪人』をやりました。 授業のため何度も読み返して印象的なのは、荒江の交差点から三瀬峠に向かう 道の描写もさることながら、光代が働いている佐賀の風景です。 光代が、突然体が折れんばかりの孤独感に襲われ涙を落とすのは、 おそらく佐賀大和のジャスコかイオン。 『悪人』は、ファスト風土と ファスト風土が破壊し過疎化が進んだ町を背景に生まれた作品である。 そのような意味で、ケータイ小説と『悪人』は兄弟のような位置にある。 『赤い糸』のメイは、『悪人』の光代に近い。私はそう思う。 かつてはメイのように共同体の中にいたのに、適齢期で結婚しそこなってしまうと もう相手を見つけることすら難しい。なのに別の価値観の場所を目指して 移動する気力も方法もないのである。 『悪人』で、個人的に一番胸が痛かったのは、祐一と光代が車で逃げるのに 長崎と佐賀をぐるぐる廻っていることだった。出られないのだ。 出ていこう。均質化の街から。 実際に出て行かなくても、ベクトルは外を向いていたほうがいい。 いつなんどき私みたいな悪い宇宙人がやってきてジャスコをのっとり、食べ物に毒をいれ 洗脳するために「宇宙人ラブラブ」みたいな本ばっかり売るかもしれないじゃないか。 出るために、気づくために 手っ取り早く異文化と異人を体験する読書は ツールとして結構有効なんだよ、というお話をしてきたのでした。 参考文献:『ケータイ小説的。』速水健朗、『ファスト風土化する日本』三浦展、 『ケータイ小説のリアル』杉浦由美子、本田透『なぜケータイ小説は売れるのか』ほか |









